コールマンのプログラムはユニークで、それまで世界中で使われていた1950年代のビンテージであるスタティックライン方式に変わる方法として受け入れやすく望ましい方法である2つのキーとなる要素を紹介した。

1つ目は彼の方法は安全性が増したということ。
エグジット後の風に、効果的に対処できず、すぐに安定した体勢がとれないスチューデントが、2人の有能なジャンプマスターの手のうちにいるので、ディプロイの間もより安定していられる。

2つ目に、AFFは7つの段階で進行しながら、スカイダイビングのスキルを教えるようデザインされている。プログラムを卒業した人は、USPAのAライセンスを取得するために必要なスキルを全て持っていることになる。ライセンス取得のために十分なジャンプ回数は得られないが、十分なフリーフォールタイムを得られる。このプログラムはジェットコースターのようなものから始まるような今までのトレーニングプログラムをはるかに越えたものである。

 プログラム開発の初期に、コールマンはUSPAの委員会から、BSR(それは全てのスチューデントは5回のスタティックラインジャンプが必要とされていた)に対する必要なウェイバーを手に入れた。そのために、コールマンは行動計画と、定期的な進捗状況を提出することを要求された。このようにしてUSPAとその安全委員会はプログラムの最新情報を手に入れた。
 1980年の終わりまでに、ドゥーパス、フート・ギブソン、ロッキー・エバンズ、ティーケー・ドンル、チャーリー・キンリンそしてジョン・ロビンズの援助のおかげでAFFプログラムは熟した。

 人々はよくどのようにスチューデントを審査するのかと聞く。
実際、スチューデントの審査は、従来のトレーニング方法と全く変わらない。安全なスタティックライン方式でのジャンプができるスチューデントなら、安全なAFFジャンプができる。
 違いと言えば、インストラクターとジャンプマスターの審査をより注意深くしなければならないことだ。インストラクターとジャンプマスターは、パフォーマンスを通して信頼を得なければならない。スチューデント役のジャンパーとの実際のスカイダイビングで彼らの能力を証明しなければならない。
 インストラクターとジャンプマスターには通信教育でなれるわけがないのは明白である。インストラクターになるための標準化されたコースが必要だ。そこでコールマンはUSPAに選ばれ、アメリカ中のDZを訪れ、インストラクターとジャンプマスターを育て、DZがAFFプログラムを教育用プログラムとして始めることを手助けした。
 1981年8月、コールマンはバルーンの事故で亡くなったが、彼のプログラムは生きている。彼と彼の熱意はたくさんの人々に影響を与えた。

 USPAのディレクターアル・キングとノースイーストコンフェレンスディレクターのジム・モウレイと、マイク・ジョンストンは、コールマンの仕事であったUSPAのレーティングサティフィケーションプログラムを完成させた。1981年9月、委員会でキングはBSRとレーティングシステムの変更と追加事項そして、AFFプログラムを受け入れることを示した。
 委員会はこれらの変更を19対2の大多数で認めた。
 その後すぐに、ジョンストンはUSPAに雇われ、AFFセミナーのため、アメリカ中を回った。ジャンパーたちにAFFプログラムを教え、必要なスキルに慣れさせるためののセミナーで1つ気付いたたことは、全ての疑問が解決され、このプログラムが非常に効果的だと分かると、皆同じように熱くなる事だった。このプログラムは、時と共に、発展し進化するだろう。しかしそのために大切なのは、まずプログラムが定着することと、ジャンプマスターとインストラクターが現在のフォーマットのの中で経験を積むことである。
 フロリダのディランドでの初のサティフィケーションコースの後、1982年カルフォルニアのぺリスバレーに続いて、アメリカ中でサティフィケーションコースが行われた。AFFに興味のある団体は、USPAやコンフェレンスディレクターに問い合わせてきた。
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